Path Finder Interview

Zealander店長 清水栄輔


オーストラリア・ニュージーランド・中国でのワーキングホリデー・語学留学や勤務経験のある、清水輔Zealander店長に体験談を聞きました。

海外で仕事をしてみたかったのは何故ですか?

学生時代から英語は得意でしたが、大学時代に奨学生としてニュージーランドへ1年間留学する機会を得たのを契機にいつか英語を使って世界を相手に仕事をしてみたいというおぼろげな夢がありました。

その夢を追って、どのように準備され最初はどちらへ行かれましたか。

夢だけでは実現しないので、留学にかかる費用を社会人として5年近く勤務しながら貯め29歳の時にワーキングホリーデーを申請、大学時代に出向いたニュージーランドへ向かいました。

ニュージーランドはコーヒー文化が栄えているんですよ。実は、自分はコーヒーが好きだったのでバリスタになる夢も持っていましたが、ワーキングホリデーでは日本食材を取り扱う現地の会社で営業や配送をしていました。しかし、片手間ではバリスタになる夢は叶えられないと思い、気持ちを切り替えるために次はオーストラリアのワーキングホリデーをニュージーランドから申請しました。

順調に国を跨いだ留学をされたのですね。

そう見えますが、夢を叶えるにはお金が必要です。ニュージーランドの現地企業で働き資金を準備しながら、オーストラリアのワーキングホリデーの申請をしました。オーストラリアではメルボルンでバリスタとして飲食店で働いていましたが、ワーキングホリデーの終わり間際になって中国上海の知人からマネージャー格としてカフェに来ないかと誘われ、今度は上海へ渡りました。ここでは英語を話せるマネジャーを探していましたので、これまでの店舗や営業の経験が活かせると思いました。

経験に裏打ちされた人脈が生きていますね。中国語も話せたのですか。

いえ、上海に移ってから学生ビザを取得して2年間学びました。上海のお店では、昼間はバリスタとしてコーヒーを提供しつつ夜は本格的なコース料理まで出していたのですが、オーストラリア人のオーナーなどとは英語で、キッチやホールスタッフとは中国語での会話となるのですが、特に地方から来た中国人とのコミュニケーションは難しかったです。料理も出しながらバリスタとしても腕も磨ける、またマネジャーとしても力を発揮できるのは醍醐味でした。ただ、中国のワーキングビザの規制が厳しくなりビザ延長が難しくなったことや、日本でのオリンピック開催が決まった事もあり、日本に帰国することにしました。

日本に帰ってからはどうされたのですか。

Terra社の別店舗にてキッチンから入り、Zealanderの開店(2017年)と共に移りました。最初はキッチンから入りヘッド・シェフを経て、店長として働いています。

3カ国での就業経験を踏まえ、ワーキングホリデーや海外での留学・就業の夢を持つ若者へ、清水さんからアドバイスをお願いします。

夢に向かって色々な経験を自分は積んできましたが、今思うと全てが活きています。本来の夢とは違う仕事をしていた時もありますが、それが仕事の幅を広げ、次の活動への原資になっていると、後から気付かされます。迷っているのならば、一歩踏み出す勇気を持って欲しいと思います。

でも、漫然として惰性で取り組んでも力にはなりません。やるときは真剣に取り組まないと。例えばですが、海外に出て日本人グループと常に付き合っていても、英語が上達する筈はありません。お金がないから留学できない、勉強出来ないと思うなら、英語を使えそうな所で働いて少ない機会をも生かしながら勉強を続けることはできます。目的をきっちり見定めて取り組めば、お金や英語力は後からついてくるものです。コロナ禍による制限やオリンピックの無観客など残念な事は多々ありますが、自分を信じて、夢を本気で追いかけて欲しいですね。

最後に、清水さんのこれからの夢はなんですか?

今はマネジャーとしてスタッフを統率しながら本部とも軸合わせをしていますが、まずはこれをしっかり確立し、来るべきインバウンド需要の復帰に向けて利益の出る店舗経営を目指します。

自分はキッチンからホール、マネジャーまで一通りの経験をしましたので、最後は自分の店を持って自分の足跡を残したい、というのが追いかけている夢かも知れません。

ありがとうございました。

インタビュアーより:

清水さんは夢の実現に向かってチャレンジを続ける、フロンティア精神旺盛な方と感じました。夢は見るものではなく実現するもの、という事を体現されていると思いました。